2013年10月21日
「興亜建国パン」を焼いてみよう!
本日は、昭和18年10月21日に明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会が行われてからちょうど70年にあたる日だそうですね。
昨年10月28日、陸上自衛隊朝霞駐屯地で実施された東部方面隊創立記念行事に行ってきたんですが、降りしきる雨の中陸軍分列行進曲に合わせて行進する自衛官の姿を見ていたら、学徒出陣のモノクロ映像が思い出されてウウウとなったのを覚えています。
えー、そのこととはほとんど関係ないですが、今日は戦時中に食されていたという
「興亜建国パン」
を焼いてみました!
興亜建国パンとは、参考文献『写真で見る日本陸軍兵営の食事』(藤田昌雄著)によれば
だそうです。
なんかたべものの話に「国策」という単語が出てきているあたりで既に美味しくなさそうな感じはするんですが、当時の生活の一端を垣間見るという意味で作ってみることにします。
では、はじめます!
昨年10月28日、陸上自衛隊朝霞駐屯地で実施された東部方面隊創立記念行事に行ってきたんですが、降りしきる雨の中陸軍分列行進曲に合わせて行進する自衛官の姿を見ていたら、学徒出陣のモノクロ映像が思い出されてウウウとなったのを覚えています。
えー、そのこととはほとんど関係ないですが、今日は戦時中に食されていたという
「興亜建国パン」
を焼いてみました!
興亜建国パンとは、参考文献『写真で見る日本陸軍兵営の食事』(藤田昌雄著)によれば
節米の見地より昭和十五年の「建国祭」の記念食として考案された野菜と砂糖を混入した高栄養のパンであり、毎月の「興亜奉公日」のほかに週一回の喫食が奨励された国策パンである。
だそうです。
なんかたべものの話に「国策」という単語が出てきているあたりで既に美味しくなさそうな感じはするんですが、当時の生活の一端を垣間見るという意味で作ってみることにします。
では、はじめます!
参考文献は、タイトルからわかるように「作って食べてみよう!」的な本ではないのでレシピの掲載はなく、材料の混合比が載っているのみ。
もうこの時点で失敗の気配がひしひしとしますが、心持を強くし分量を計算します!いざ!
私の計算では分量は以下のようになりました!
小麦粉:210g
きなこ:60g
馬鈴薯:21g
魚粉:9g
人参+ホウレンソウ:30g
砂糖:90g
脂肪:15g
酵母:4.5g
塩:4.5g
水:135g
だいたいこんな感じ。
小麦粉は強力粉、魚粉は煮干しをミキサーで砕いて粉にしたもの、馬鈴薯(じゃがいも)と人参+ホウレンソウはレンジでチンしたもの、脂肪はバター、酵母は市販のドライイーストを使用しました。
写真に水とバターが写ってないのは写真を撮る前にホームベーカリーに投入してしまったためです。ぐはっ。
じゃがいも・人参・ホウレンソウが大量に入って「これパンじゃなくてほぼ野菜でしょw」というものを想像してたんですが、じゃがいもは煮っ転がしにするような小さいの1個だし、人参は先端2センチくらいで充分だし、ホウレンソウは葉っぱ2枚だし、なんか意外。
野菜をあまり入れると発酵を妨げてしまうのかな。
轟音とともに生地をこねていたホームベーカリーが一次発酵に移って大人しくなった頃、おかしなことに気づきました。
説明書に具材を投入するタイミングが書いてない!
どうもバターロールとかクロワッサンとか、具が入らないパンを作ることを念頭に置いた説明だったようです。
まあ仕方ない…一次発酵が終わった時にでも練り込んじゃえばいいか。
一次発酵が終わったパン生地にきなこ・じゃがいも・人参・ホウレンソウを投入して、ホームベーカリーのスタートボタンを押します。
再び轟音とともに生地をこねはじめるホームベーカリー。
大丈夫かなぁ…。
具材と生地がよいぐあいに混ざったところで電源を落とし、生地を取り出します。
えーと、参考文献によれば、
とのことだったので250g量って整形しようかと思ったんですが、250gってけっこうな量のような気がするし、今回は粉類だけで300gになるように計算しているので、生地を半分にすれば子供用150g×2個になるかな。
参考文献の写真では「興亜建国パン」はコッペパンのような形をしているので、そのような形に整形し、あたたかいところ(コタツ)で約1時間発酵させ(二次発酵)180℃に予熱したオーブンで15分焼きます。
香ばしい煮干しの香りが家中にただよいます…。
焼けたよー!
途中で具材を投入したのでちゃんと膨らむか心配でしたがいい感じに膨らんでます!
180℃で15分ほど焼いたんですが、竹串を刺したらちょっと焼き足りない感じだったので5分延長します。
さてさて、今度こそ焼けたので興亜の重みを量ってみよう。
アレッ大人用1人分よりも重い?!
な、なんで…?
あっ水とかその他の具の分か。ぐぬぬ…。
気を取り直して、いざ喫食!
味はもう、とにかく甘い!!!!!の一言です。
あと煮干しの香りがなかなかにすごいです。
甘さと煮干しの香りとが相まって、魚の甘煮等があまり得意でない私にはクリティカルヒットでした。
いや、煮干しの香りは別にいいけど、甘すぎるのがかなりキます。
ばーちゃんたちは砂糖が貴重だった時代を体験してるから「甘いものは美味いもの」の精神で「梅干しに砂糖」とか「トマトに砂糖」とか「まんじゅうに砂糖」とか「くまたぱん」とかまったく平気で食べてるけど、飽食の時代に生きる現代人の私には無理でした!
知人に少量ずつ体験喫食を強要しようと思います!すみません!
※くまたぱんとは → http://kumatapan.ftw.jp/u42467.html
※渋めの緑茶などとともに少量ずつ食べると美味しいですよ
※超絶ハイカロリーなのでイザという時の非常食にもいいかもしれません(ただし消費期限に注意)
えーと…
材料はキッチリ決まっているわけではなく、大豆粉・砕米粉・麦こがし・ライ麦粉・きなこの内1種を何%…という感じだし、粉類だけでなく具材もそんな感じなので一口に「興亜建国パン」と言っても様々な味のものがあったんだろうと思います。
魚粉も、魚粉or海藻粉から1種類(つまり魚粉or海藻粉)という感じでした。
なので、なるべく苦手なものを選ばずに、もしくは苦手な組み合わせにならないようにすれば美味しく頂けるかもしれませんね!
個人的には砂糖を1/4くらいに減らせば美味しく頂けるんじゃないかな…というのが今回「興亜建国パン」を再現してみた感想です。
海軍記念日のデザート(ココア羹)を作った時も思ったんですが、本当、砂糖が貴重だった時代のデザートは、甘い!
激甘食品はもういいよ!
しかし砂糖こんなに大量に入れてて平気だったのかなー。
ご年配の方に戦時中の話を聞くとたいてい「とにかく砂糖がなくて困った」「甘いものは貴重だった」という話になるのでそこは気になる。
大戦末期だと甘くないパンになってたんじゃなかろうか。
「興亜建国パン」の原型は昭和初期の恐慌時に欠食児童のために陸軍糧秣本廠の研究員が開発したものだそうなので、かなりのハイカロリー設定にしたんでしょうけども。
あとは建国祭で記念食として用意されたというのも関係あるのかなあとか思ったり。
昭和15年といえば紀元2600年の祝いの年だし、建国祭の時くらいドバーッと砂糖入れちゃおう!みたいな。
どうかな~。調べてみないとな~。
おまけ。
友人のおばあ様(大正十ン年生まれ)に「興亜建国パンというものをご存知ですか」と尋ねたところ、「知らない」「聞いたこともない」との事でした。
加えて
「パンは熱を出して何も食べられない時くらいしか買ってもらえなかった。アンパンとかジャムパンとか、甘いものはそんな時しか食べられなかった。」
「とにかく砂糖がなくて困った。正月時の餡子なんかもうホント……」
との情報を頂きました。
友人のおばあ様はちょっと良いところの娘さんだったようなので何とも言えませんけども、あとどの段階での話かわからないのでそこも何とも言えないですけども、察するに、戦時中に東北の農村やそれに近い都市部に住んでいた人たちはもしかしたら節米運動に触れてすらいないのではないですかね。
あとは、東京から疎開してきてそのまま定住なさった男性の「ヘビを捕まえて焼いて食べたりしてた」という話に対して、女学校に通っていたという地元の女性が「やだ、都会の方なのに意外と野蛮なことなさってたのね」という反応をしてるのを見たことがあるので、経済状況による日々の食事の内容の差なども気になります。
なんというか、そういう差をあまり考慮せず「スタンダード型戦時中市民生活」のようなものばかり見てるのも視野が狭くなりそうだし気を付けなくてはなーと思いました。
地域ごととか、職業(というか世帯年収等の経済状況)ごとの食生活のちがいなんかも調べてみたいな。
もうこの時点で失敗の気配がひしひしとしますが、心持を強くし分量を計算します!いざ!
私の計算では分量は以下のようになりました!
小麦粉:210g
きなこ:60g
馬鈴薯:21g
魚粉:9g
人参+ホウレンソウ:30g
砂糖:90g
脂肪:15g
酵母:4.5g
塩:4.5g
水:135g
だいたいこんな感じ。
小麦粉は強力粉、魚粉は煮干しをミキサーで砕いて粉にしたもの、馬鈴薯(じゃがいも)と人参+ホウレンソウはレンジでチンしたもの、脂肪はバター、酵母は市販のドライイーストを使用しました。
写真に水とバターが写ってないのは写真を撮る前にホームベーカリーに投入してしまったためです。ぐはっ。
じゃがいも・人参・ホウレンソウが大量に入って「これパンじゃなくてほぼ野菜でしょw」というものを想像してたんですが、じゃがいもは煮っ転がしにするような小さいの1個だし、人参は先端2センチくらいで充分だし、ホウレンソウは葉っぱ2枚だし、なんか意外。
野菜をあまり入れると発酵を妨げてしまうのかな。
轟音とともに生地をこねていたホームベーカリーが一次発酵に移って大人しくなった頃、おかしなことに気づきました。
説明書に具材を投入するタイミングが書いてない!
どうもバターロールとかクロワッサンとか、具が入らないパンを作ることを念頭に置いた説明だったようです。
まあ仕方ない…一次発酵が終わった時にでも練り込んじゃえばいいか。
一次発酵が終わったパン生地にきなこ・じゃがいも・人参・ホウレンソウを投入して、ホームベーカリーのスタートボタンを押します。
再び轟音とともに生地をこねはじめるホームベーカリー。
大丈夫かなぁ…。
具材と生地がよいぐあいに混ざったところで電源を落とし、生地を取り出します。
えーと、参考文献によれば、
「興亜建国パン」の一食分の分量は民間では大人二百五十グラム・子供百五十~二百グラムが基準とされ、
とのことだったので250g量って整形しようかと思ったんですが、250gってけっこうな量のような気がするし、今回は粉類だけで300gになるように計算しているので、生地を半分にすれば子供用150g×2個になるかな。
参考文献の写真では「興亜建国パン」はコッペパンのような形をしているので、そのような形に整形し、あたたかいところ(コタツ)で約1時間発酵させ(二次発酵)180℃に予熱したオーブンで15分焼きます。
香ばしい煮干しの香りが家中にただよいます…。
焼けたよー!
途中で具材を投入したのでちゃんと膨らむか心配でしたがいい感じに膨らんでます!
180℃で15分ほど焼いたんですが、竹串を刺したらちょっと焼き足りない感じだったので5分延長します。
さてさて、今度こそ焼けたので興亜の重みを量ってみよう。
アレッ大人用1人分よりも重い?!
な、なんで…?
あっ水とかその他の具の分か。ぐぬぬ…。
気を取り直して、いざ喫食!
味はもう、とにかく甘い!!!!!の一言です。
あと煮干しの香りがなかなかにすごいです。
甘さと煮干しの香りとが相まって、魚の甘煮等があまり得意でない私にはクリティカルヒットでした。
いや、煮干しの香りは別にいいけど、甘すぎるのがかなりキます。
ばーちゃんたちは砂糖が貴重だった時代を体験してるから「甘いものは美味いもの」の精神で「梅干しに砂糖」とか「トマトに砂糖」とか「まんじゅうに砂糖」とか「くまたぱん」とかまったく平気で食べてるけど、飽食の時代に生きる現代人の私には無理でした!
知人に少量ずつ体験喫食を強要しようと思います!すみません!
※くまたぱんとは → http://kumatapan.ftw.jp/u42467.html
※渋めの緑茶などとともに少量ずつ食べると美味しいですよ
※超絶ハイカロリーなのでイザという時の非常食にもいいかもしれません(ただし消費期限に注意)
えーと…
材料はキッチリ決まっているわけではなく、大豆粉・砕米粉・麦こがし・ライ麦粉・きなこの内1種を何%…という感じだし、粉類だけでなく具材もそんな感じなので一口に「興亜建国パン」と言っても様々な味のものがあったんだろうと思います。
魚粉も、魚粉or海藻粉から1種類(つまり魚粉or海藻粉)という感じでした。
なので、なるべく苦手なものを選ばずに、もしくは苦手な組み合わせにならないようにすれば美味しく頂けるかもしれませんね!
個人的には砂糖を1/4くらいに減らせば美味しく頂けるんじゃないかな…というのが今回「興亜建国パン」を再現してみた感想です。
海軍記念日のデザート(ココア羹)を作った時も思ったんですが、本当、砂糖が貴重だった時代のデザートは、甘い!
激甘食品はもういいよ!
しかし砂糖こんなに大量に入れてて平気だったのかなー。
ご年配の方に戦時中の話を聞くとたいてい「とにかく砂糖がなくて困った」「甘いものは貴重だった」という話になるのでそこは気になる。
大戦末期だと甘くないパンになってたんじゃなかろうか。
「興亜建国パン」の原型は昭和初期の恐慌時に欠食児童のために陸軍糧秣本廠の研究員が開発したものだそうなので、かなりのハイカロリー設定にしたんでしょうけども。
あとは建国祭で記念食として用意されたというのも関係あるのかなあとか思ったり。
昭和15年といえば紀元2600年の祝いの年だし、建国祭の時くらいドバーッと砂糖入れちゃおう!みたいな。
どうかな~。調べてみないとな~。
おまけ。
友人のおばあ様(大正十ン年生まれ)に「興亜建国パンというものをご存知ですか」と尋ねたところ、「知らない」「聞いたこともない」との事でした。
加えて
「パンは熱を出して何も食べられない時くらいしか買ってもらえなかった。アンパンとかジャムパンとか、甘いものはそんな時しか食べられなかった。」
「とにかく砂糖がなくて困った。正月時の餡子なんかもうホント……」
との情報を頂きました。
友人のおばあ様はちょっと良いところの娘さんだったようなので何とも言えませんけども、あとどの段階での話かわからないのでそこも何とも言えないですけども、察するに、戦時中に東北の農村やそれに近い都市部に住んでいた人たちはもしかしたら節米運動に触れてすらいないのではないですかね。
あとは、東京から疎開してきてそのまま定住なさった男性の「ヘビを捕まえて焼いて食べたりしてた」という話に対して、女学校に通っていたという地元の女性が「やだ、都会の方なのに意外と野蛮なことなさってたのね」という反応をしてるのを見たことがあるので、経済状況による日々の食事の内容の差なども気になります。
なんというか、そういう差をあまり考慮せず「スタンダード型戦時中市民生活」のようなものばかり見てるのも視野が狭くなりそうだし気を付けなくてはなーと思いました。
地域ごととか、職業(というか世帯年収等の経済状況)ごとの食生活のちがいなんかも調べてみたいな。
タグ :興亜建国パン
しかし、これ非常に砂糖が多いですよね。
栄養価最優先で考えられていて、場合によって材料の選択が多く設定されているのがなかなか面白いかと。
投入タイミングは全部一気にぶっこんでやりましたが、結構うまくいけました。
砂糖ものすごく多いですよね。
味覚は二の次というところがさすが「国策パン」というだけのことはあるなあと思います。
別の材料でも試してみたいと思いつつ2回焼いただけで心が折れてしまいました…。
材料全部同時投入で大丈夫なんですね、情報ありがとうございます!